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兄さんが背負い過ぎなRPGことTOG-fで背景が無いブログ 全員愛すけど兄弟贔屓で弟→兄 他の傾向はココで(一読推奨)
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※ちょっと長いです

君が言ったから今日はカレー記念日

「ねえアスベル、久し振りにアスベルが作ったカレーが食べたいな」
 そろそろ街が見えて来るかと思いながら歩いていたら、早足で俺の横に追い付いて来たソフィが随分と小さな声でお願いして来た。
「俺のカレーか、久し振りってぐらい作ってなかったっけ。シェリアが作るカレーじゃダメなのか?」
 ソフィはそんなに勢いよく振らなくても、と言いたくなるぐらいに首を横に振った。結われた長い髪が俺にペシペシ当たる。
「シェリアが作ってくれるカレーも好きだけどね、」
「甘さが足りないんだろ。俺も何度か訴えてるんだけど――」
「辛さは丁度いいよ」俺のボヤきを遮る様にソフィが言う。「むしろ充分甘めだよ?」
 窘めているかの様な目線が胸に突き刺さる。ソフィ、お前からそんな目で見られたら黙らざるを得ないじゃないか。
 せめて心の中で嘆いておくか、何で皆はカレーは辛いものとか言うんだろうな、理解に苦しむ。甘くてもカレーはカレーだろ、そもそもカレーは辛くなきゃいけないなんて決まりはないのに。
「……でも今日はね、アスベルの甘口のカレーが食べたいの。だから、お願い」
 断る理由なんか一切ない。甘口の、という言葉が入っていたから、むしろ嬉しいとさえ思った。
「分かった、今日は俺が作るよ。シェリアにあらかじめ言っとかなきゃな」
「有難う、アスベル」
 微笑みを返したソフィは綿毛の様にふわふわと飛ぶ白い蝶を追い始めた、とても嬉しそうに見える。蝶と戯れるのが楽しいんだろうと思いながらも敢えて尋ねてみる事にした。
「なあソフィ、そんなに俺のカレーが楽しみなのか?」
「うん、凄く楽しみだよ」
 純粋な笑顔が嬉しい。そんなに楽しみにしてくれているのなら、俺も相応の気合いを入れて作らなきゃいけないな。
 街が徐々に近付いて来た中で、頭の中で必要な材料を一つずつ丁寧に整理し、手順も確認していく。作るのが楽しみになって来た。

「ソフィがリクエストしてくれたから、今日は俺がカレー作るよ」宿に着いてチェックインする前に皆に伝える。
 俺が記帳に事項を記入していると、少し離れた場所からヒューバートの声が耳に入って来た。
「大丈夫なんですか?兄さんが作ったカレーなんか食べたらリアクションが喜劇になりそうなんですが。ぼくとしては夕食代も払って宿の夕食を頂きたいですね、明日のためにも」
 本当に嫌みな事を言う奴になったもんだよな……。
「いやこれがなヒューバート、意外にも大丈夫だぞ。意外にも!」教官が意外という単語だけ強めて答え、ヒューバートは「ますます信用出来ませんね」なんて言っている。さっきからどんな顔して言ってるのか知らないが、シニカルな笑みを浮かべてるという事は口調からしっかり伝わって来る。
 言い返したら面倒臭くなりそうだから、男は黙ってスルーだ。うん、俺も大人になったな。
「とか言われてるよー?」パスカルがカウンターに顎を乗せて言う。
「いいよ、言わせておけば」
 羽ペンの羽でパスカルの鼻をくすぐる。くしゃみが出そうになって来たのか、もどかしげな顔になった。さあどうなるかな、目が離せないぞ。
「ふぇ、ふぇっ」遂に出るか!するならパスカルらしく、ぶぅぇっくしょぉーい!ぐらいのものを!と期待したその時、パスカルの後ろにいたソフィが「くしゅん」と小さくて可愛いくしゃみをした。
「もー!ソフィが代わりにしちゃったから、もう出なくなっちゃったよー!」
「ゴ、ゴメンね?」
 物凄く申し訳なさそうに謝るソフィを見て、シェリアと一緒に俺も笑ってしまった。
 笑っている俺達が気になったんだろうか、「どうかしましたか?」と言いながらヒューバートが俺の横まで来た。
「嫌み君には教えてあげないわよ。ね、アスベル」
「だってさ、ヒューバート」
 ヒューバートは小さく「なっ」と詰まらせた後、不服そうに「別にいいですよ」と言い捨て、向こうへ行ってしまった。これでおあいこかな、と思った後に気付く、俺まだ大人になれてないじゃないか。
「思い上がってたな」
 うっかり呟いてしまった。誰にも聞こえてないだろうと思いきや、シェリアには聞こえていたらしい。「アスベル、何か言った?」
「な、何も言ってないよ」
 笑って誤魔化しながら、サインを終えた記帳をフロントのおばさんに渡す。おばさんが「賑やかだねえ」と笑った。

 ソフィとシェリアは買い出しも料理も手伝うと言ってくれたけど、「大丈夫、一人でやるよ。だからゆっくりしててくれ」と言い、まずは買い出しに向かう。
 マルシェの活気のいい空気に揉まれながら、必要な材料を次々と買っていく。買い物は意外と楽しいって事には旅をする様になって気付いた。楽しさなんか見つけてる場合じゃないよな、と前にパスカルに話したらこう返って来た、むしろ見つけてる場合でしょー?と。あの言葉は俺の中で結構救いになっている。パスカルなら俺の言葉を否定してくれるかも知れない――今思うと、そんな気持ちがあった気がする。
 抱えている紙袋から覗くリンゴが目に入った。デュアライズ用に原素加工される前の食材は凄く瑞々しくて美味そうだといつも思う、ずっしり重いし水煇石庫に入れておかないと日持ちしないという大きな難点こそあるものの。
 ――ああダメだ、我慢出来ない!一つぐらいならいいかと思い、リンゴをかじりながら宿に戻る。少し乾いていた喉がリンゴの果汁で潤っていく、美味いな。

 ここの客用調理場は結構広いのに俺以外誰もいないせいでガランとしていたから落ち着かなかったが、壁沿いの小さなテーブルに脱いだコートを置き、掛けてあった腰エプロンをするまでの間で慣れた。
 調理台に置いておいた紙袋から材料を取り出していく。久々だし腕が鳴るな!スパイスセットを見るだけでテンションが上がる。ただでさえ名の知れているストラタのスパイスセットの中でも最上ランクに位置するスパイスセットをセイブル・イゾレの研究員の人から譲ってもらった事を思い出した。店を開いている知人から譲ってもらったらしく、一般には流通してないらしい。かめにんがお得意さんだけに売ってるらしいよって聞いたからかめにんに聞いてみたけど、お得意さんじゃない人にはそういう事は教えてないっス!って即座に言われてしまったんだっけな……。
 結構お世話になってるからいつか分かる日が来るだろうかと思いながら、鶏もも肉の下準備を終えた。次に自分なりに調合したスパイスを丁寧に煎っていくと、徐々に香ばしい香りが立って来る。俺は今カレー作りの大きな第一歩を踏み出した!胸が躍る中、スパイスを火から外す。
 探し出した大きな鍋に水を入れ、カレーのベースにするスープを作るために鶏がらと色んな野菜を丸々放り込んで煮ていく。
 フライパンの油の中でスタータースパイスが弾け出す、涙目になりながら刻んだ大量の玉ねぎを焦がさない様に炒めていかないと。根気が大事、心の中で呟いてから玉ねぎをフライパンに入れる。
「おーう、兄ちゃん!」後ろから肩に手を置かれ、心臓がバクバクに!「そんなビクッ!とされるとこっちもビックリするぞー」
 横に回り込んで来たのは知らないおじさんだ、と思うけど、何処かで会っていたらどうしよう。
「ほ、本当にビックリしたので」火を止め、フライパンを一度大きく揺すってから尋ねる。「あの、俺に何か用でしょうか?何処かでお会いしました、かね」
「ハハハ、ないぞ、初めましてだ。いやさ、ちょっと気になる事があったから、聞いてみるかと思ってな」
「そうですか、初めましてでしたか。それで気になる事とは何ですか?」
「兄ちゃん、お尋ね者か?何か悪い事でもしたのかい」
 意味が分からない。ラントから叩き出された後にバロニア兵に追われた事はあったが、もう終わった事だ。そもそも悪い事なんかしていない。
「何もしてませんが……お尋ね者かと聞くという事は、もしかして俺の手配書が出されたりしているんですか?」
「まさかまさか!」おじさんは大きな両手を豪快に振った。「兄ちゃんは礼儀正しいし、何より悪人には見えんしな。うん、よしっ!」
 清々しい程の独り合点をしたおじさんは力強い足取りで調理場を出ていった。おじさんに対しての訝りが消えない中で玉ねぎを再度炒めようと火を着けようとした時だった。
「おーう、兄ちゃん!」
 さっきのおじさんの声だ。戻って来たのかと思いながら振り返ると、おじさんは一人じゃなかった。見覚えがあるどころじゃない人間の腕をガッシリと掴んで引き連れている。「な、何なんですか、ちょっと!」ヒューバートは目に見えて動揺している。
 何が何だか分からないが、ヒューバートに取り合えず声を掛けてみよう。
「えっと、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、この人が意味分からない事言ってぼくの前に立ったので何かと思ったら、いきなり腕とっ捕まえられて、強引に連れて来られたんですよ!」
 おじさんに「あの、それ俺の弟なんですが……」と窺い半分で説明してみた。険しくなっていたおじさんの顔は一瞬で驚きに変わり、ヒューバートの腕からパッと手を離す。
「弟をそれ呼ばわりですか。ぼくは兄さんの事をそれとかこれとか言わないのに、困った兄ですよ」
 俺としては大変どうでもいい指摘をしながら袖を整えるヒューバートと俺の顔を交互に見ながらおじさんが言う。
「兄弟か!いやあ、ストラタの軍服着てるし、もたれてる壁も顔しかめそうなぐらい難しい顔して調理場の方見てるしよ、ついてっきり監視してんのかと思っちまって」
 だからお尋ね者なのかとおじさんは聞いて来たのか。軍服を着ている事も大きいだろうが、監視していると勘違いされてしまう程に難しい顔をしてたのか、ヒューバートは。調理場の方見てたらしいし、もしかして腹減り過ぎて機嫌悪くなってたのか?可笑しくなって来て、少し笑ってしまった。
「迷惑な話ですよ、ぼくはただ立ってただけで――」ヒューバートのメガネがおじさんに突然取り上げられた。「す、って今度はメガネですか!」
 次におじさんは大きな手で俺の前髪をグイッと上げた、額が丸出しに。俺達の顔をまじまじと見ながら「うんうん」と頷くと、おじさんは俺の髪をグシャグシャと戻し、メガネをヒューバートに返した。おじさん、俺には貴方が分からない。
「じゃあ兄ちゃん、料理の邪魔して悪かった!弟もすまんかったな!」
 おじさんはヒューバートの背中をバシーンと音が立つ程に叩くと、痛がるヒューバートを他所に威風堂々たる足取りで調理場を後にした。
「ま、全く!掻き回しておいて何であんなに堂々と出ていけるんですかあの人は、何処かの陣術士じゃあるまいし!」
「悪い人じゃなかったからいいじゃないか。それにしても今の何だったんだろうな、お前のメガネ取り上げたり、俺の前髪上げたりしてさ」
「え?思うにあれは……」メガネのブリッジを指で上げた、掛け直したばかりなのに。「い、いえ。何だったんでしょうね、ぼくにも分かりません」
「お前にも分からないなら仕方ないな。で、結局お前は廊下で何してたんだよ」
「さっきあの人に言った通りですよ、立ってただけです」
「とか言って、腹減り過ぎて待ち遠しいんだろ。悪いな、まだ時間掛かるぞ。玉ねぎだってほら、まだ飴色じゃないだろ」
「はいそうですね、って何勝手にそういう事にしてるんですか。立ってただけだって言ってるでしょう」
 ヒューバートはグシャグシャのままだった俺の髪を直しながら言う。俺は別に気にしてなかったんだが、ヒューバートは気になったらしい。
「つまりボーッとしてたって事か。そういう時まで難しい顔なんかするなよ」
「ぼくとしては気抜けた顔になるよりも難しい顔になる方がいいですから、御構いなく」
「ボーッとしてたって事かって言った俺が言うのも何だけど、今気付いたんだ。難しい顔になってたって事は実際はボーッと出来てなかったんじゃないか?強面の人はボーッとしててもそう言われる事があるかも知れないけど、お前は強面じゃないんだしさ」
 目が少し丸くなったという事は、俺の言った事は多分当たっている。
「……ええ、確かにボーッとはしてませんでした、兄さんに言いたい事があったので」
「何だよ、遠慮なく言ってくれ」
「ソフィから聞いたんですが、兄さんが作るカレーは案の定凄く甘いんでしょう。ぼくのはちゃんと辛くしてくれませんか」
 実は本当に難しい事を、或いは一人で悩んでたりしてたんじゃないかと思っていたのに、そんな事か。気が抜けたのが顔に出てしまったらしく「何ですかその顔は」と言われてしまったので、笑って誤魔化した。
「辛くするぐらい全然構わないぞ、気持ちは全然分からないけどな。でもお前も甘口のカレーは好きだったじゃないか、オムライスのが好きだったけど」
 ヒューバートが左手を軽く上げて、首をゆっくり振る。あからさまにあしらわれてるな、俺。
「七年前と同じ味覚だと思ってるんですか?兄さんと一緒にしないで下さい、ぼくの舌はもう子供じゃないんです」
「ハハッ、分かった分かった。じゃあお前の分はちゃんと辛くしておくからさ、部屋で待っててくれ」
「お願いします」
 ヒューバートが調理場を出ていく。辛めにしてくれって事ぐらい堂々と言いに来そうなものなのに、変なところで遠慮するんだな。
 鍋を覗いてみると、大分煮えて来ている。大きめに切った牛もも肉の表面をもう一つのフライパンで軽く焼いた後、鍋の中に入れる。さて、玉ねぎ炒めの続きだ。
 そう言えばヒューバートに食事を作るのは生まれて初めてだ。すっかり皮肉屋になってしまったあいつの事だから、どれだけ上手く作れても駄目出しはされそうだけど、ガッカリさせたくはない。あいつが美味いと思ってくれるなら、駄目出しや皮肉をどれだけ言われても構わない。何せ俺は言われ慣れ始めている、自慢出来る事じゃないけどな。
 しまった、どれぐらいの辛さがいいのか聞くのを忘れた。まさか激辛がいいって事はないよな、そんなの味見するのは嫌だぞ。

――――――――――――――

「あっ、シェリア見て?ヒューバートも出て来たよ」
 階段の踊り場に飾られている風景画の瑞々しい美しさに見とれていたら、ソフィの声が背中越しに聞こえて来た。調理場の方を見ると、ヒューバートが私より先に「ソフィ、シェリアも」と声を掛ける。
「ちょっとどうしたのよ、何かあったの?」ソフィと一緒に階段を下りつつ尋ねる。「ヒューバートがいると思ったら、あの兄ちゃんはどう見ても悪い奴じゃないぞ、ちゃんと確かめたのか!とか知らないおじさんに言われた後に調理場にズルズルと連れて行かれちゃうんだもん、唖然としたわよ」
「説明しましょうか」ヒューバートは階段を二、三段上がって、溜め息を一つついてから続ける。「軍服姿のぼくが調理場の前に立っていたというだけで、調理場の中にいる兄さんを罪人だと決め付けて監視していると勘違いしたらしいです。何度かぼくの前を通り過ぎた事は覚えてますが……まさかあんな勘違いをされるなんて夢にも思ってませんでしたよ」
「そう、災難だったわね」と言いながらも、連れて行かれる時の慌てふためくヒューバートを思い出したら、ちょっとだけ笑いが漏れてしまった。すかさず返って来る、「何も面白くありませんけどね」
「でもあのおじさん、やけにスッキリした表情で出ていったから、誤解は解けたんでしょ?」
「ええ、それはもうあっさりと」
 得意気にヒューバートは答えた。連れて行かれた時は凄くうろたえてたけど、調理場では冷静に事情を説明して誤解を解いたのかしら。
「なら良かったじゃない。それで結局調理場の前で何してたのよ」
「兄さんにぼくの分のカレーは辛めにして欲しいと言うか言うまいか迷ってただけですよ、兄さんが作るカレーは凄く甘いとソフィから聞いたので。今しがた辛口にして欲しいと伝えて来たところです、連れ込まれたついでに。意外と大丈夫とか誰かは言ってましたけど味も心配ですね、あの兄さんが作るカレーが美味しいとは思えませんし」
「……セイブル・イゾレに初めて着いた日にね、アスベルがカレー作ってくれたの。研究員の人とカレーの話で盛り上がったらスパイス譲ってもらったからって」生まれて初めて食べたアスベルのカレーの味を思い出しながら続ける。「スパイシーのスの字が目を凝らせばかろうじて見えて来るかしらってぐらいの甘口だったけど、これはこれでアリかもと思う程に美味しかったのよ。後で作り方聞いたらやたら本格的でこだわり過ぎだから、時間が掛かるのが難点だけどね。それにヒューバートも甘口のカレーは好きだったじゃない、オムライスのが好きだったけど」
 ヒューバートが左手を軽く上げて、首をゆっくり振る。あからさまにあしらわれてるわね、私。
「七年前と同じ味覚だと思ってるんですか?兄さんと一緒にしないで下さい、ぼくの舌はもう子供じゃないんです、って兄さんに言ったばかりなんですがね」
 何なのよ、その半笑い。どっかの誰かさんはお兄さんに言ったかも知れないけど、そこに私はいなかったんだから知らないわよ、という言葉を無理矢理飲み込んだ。小さい頃のヒュ-バートは素直で純情で可愛かったのに、今はこんなに皮肉屋になっちゃって全っ然可愛くない。それだけ舌が変われば、味覚も変わっちゃうわよ。
 我慢によるストレスが肌に悪影響を与える気がして、この本音を言うかどうか本気で悩んでいたら、ソフィの切な気な声が耳に入って来た。「ねえ、ヒューバート……」
「何ですか、ソフィ」
「甘いカレーなんか食べたくないって事だよね?ならゴメンね」
 私とヒューバートは揃って「えっ」と漏らした。ヒューバートと顔を見合わせてから、俯いて落ち込んでしまっているソフィに尋ねる。
「ソフィ、どういう事?」
「今シェリアが話したアスベルのカレーの話、昨日の夜にヒューバートにしたの。あいつも甘口のカレーが好きだったってアスベルが言ってたよ、って言ったら、ヒューバートが何だか寂しそうな顔した様な気がしたから、食べたいのかな、って。でもヒューバートはそういうお願いするの苦手になってるみたいだから、代わりにわたしがアスベルにお願いすればいいんだって思ったんだけど……余計な事しちゃったね」
 ヒューバートは私達とは目を合わせようとせずに複雑そうな表情を浮かべたまま、何も言わずにいる。ヒューバートがソフィに寂しそうな顔を見せた訳は、本当にアスベルが作るカレーが食べたかったからだったのかしら。私が思うに、間違ってもいるし、間違ってもいない気がする。つまりどういう事かと聞かれたら上手く言えないけど。
「……そうだったんですか」ようやくヒューバートが話し始める。ソフィを見る目がとても優しいと気付いた途端、私の頭の中に小さい頃のヒューバートが突然現れて消えていった。「ソフィは余計な事なんてしてません。ぼくは兄さんのカレーが食べたくない訳じゃないんですから。ただ、ほら……成長したからか、甘いものが苦手になってしまったので、辛めにして欲しいと頼みに行っただけですよ」
 ソフィはようやく顔を上げてくれた。「じゃあヒューバートは甘いのより辛いのがいいけど、アスベルが作ったカレーは食べたいって思ってるって事?」
「うっ。それはです、ね」
 予想通りヒューバートが言葉に詰まったから、代わりに「そうですよ~」と笑顔で代弁しておいてあげた。ソフィが「うん!」と嬉しそうに笑う。
「はいはい、いいからもう戻りますよ」と言うヒューバートは不服そうな顔をしているけど、否定する気はないって分かる。だって照れがちっとも隠し切れてないから。
 足取り軽く階段を上がっていくソフィに続いていると、「シェリア、ちょっと」横にいるヒューバートが随分抑えた声で話し掛けて来た。
「ソフィがさっき言ったぼくの寂しそうな顔というのは……」言葉を飲み込んでしまった様に見えた、私は急かさずに待つだけ。「いえ、何でもありません。すいませんでした」
 小さく言い残し、階段を上っていく前にヒューバートが垣間見せた表情は、再開してからは一度として見た事がないものだった。ヒューバートの後ろ姿にまた小さい頃のヒューバートの姿が重なる。昔と今が錯綜してるのは私なのかしら、ヒューバートなのかしら。
 思わず目を閉じると、子供の頃の思い出が浮かび上がって来た。はぐれていたヒューバートがアスベルの姿を見つけて、何処からか必死で駆け寄って来て――急いで目を開けた。
「シェリア?」
 いつの間にかソフィが振り返っていた。驚いた様に一瞬目を丸くした後、首を軽く傾げて不思議そうに私を見ている。まさかとは思うけど、もしかしたら小さい頃の私が重なって見えたのかも知れない。おふざけを装って聞いてみようかと思ったけど……聞けない。
「今行くわ」笑い掛けると、ソフィは黙って頷いた。
 止まってしまっていた足を持ち上げて、再び階段を上がる。ヒューバートは立ち止まる気配も振り返る気配も一切見せずに、黙々と階段を上がっていく。

――――――――――――――

 この部屋が大食堂から近いせいで、ドアの向こうから宿泊客達の楽しそうな声が入り込んで来る。頼んでもいないのに料理の匂いまで入り込んで来る、ブイヤベースの様ないい匂いが。ぼく達がどれだけ空腹か知るはずもない宿泊客達に、このぼくを差し置いて先に食事とはいい御身分ですね貴方達は!と八つ当たりしに行きたい。
 マリクさんとのチェスを重ねるに連れて、やがて匂いは届かなくなり、声も消えていく。係が片付けているのだろう、皿を重ねる音が聞こえ始めた。大食堂にある沢山の皿を淡々と壁に投げつけて割りに行きたい。
 兄さんが作るカレーは出来上がるまで時間が掛かるのが難点だとシェリアが言っていたけど、まさかこんなに掛かるなんて……!
「イライラが物凄い顔に出てるぞ。流石は食い盛りだな」チェス盤と長い事見つめ合っているマリクさんが言う。
「貴方がいつまでも手を考えてるからですよ、考えるだけ無駄なのに。さっさとリザインしたらどうですか」
「ムラムラする年頃でもあるな」
 今すぐ煇銃でその口をぶち抜きたいと本気で思っていると、窓の向こうから何かが開け放たれた音がした、隣の部屋の窓だろうか。
「お腹空いたーっ!カレーバナナカレー!」
 マリクさんは鼻で笑うが、ぼくは頭を抱えざるを得ない。
「もう恥ずかしいでしょ!それにカレーバナナかバナナカレーかどっちかにしてよ!」
 突っ込みになっていないシェリアの怒鳴り声の直後に窓が思い切り閉められた音がした。今ソフィはどんな顔をして二人を見ているんだろうか、不憫過ぎる。ソフィの事だから両方共どういう食べ物なのかと真剣に考えているのかも知れない、どっちにせよ不憫過ぎる。
 しばらくしたら、隣の部屋がまた少し騒がしくなった。女子達の声が廊下に移った様だ、そして離れていく。もしやと思った矢先、遂にその時が来た――ドアノブがガチャリと音を立てた!
「お待たせ!さ、食堂に行こう。あ、自炊客用の方な。ちょっと遠いんだよな」と言いながら部屋に入って来た兄さんに早足で歩み寄る。
「兄さん……一体どれだけ時間掛けてるんですか」
「カレー作りに妥協は厳禁だからな、時間を惜しむなんてもってのほかだぞ。ってシェリアに言うと、時間掛ければいいってもんじゃないって言われるんだけどさ」
「分かりました分かりました、ですからとっとと行きましょう。マリクさんも行きますよ、置いて行っていいなら遠慮なくそうしますが」
「いや待て、ヒューバート」マリクさんが側に置いてあった曲刀に触れる、何かと思えばぼくの顔の前に小さな氷の槍が形成された。「さあさあ、手を終えたぞ。この勝負を終えるまで行かせんからな」
「丸腰だからって舐めないで下さい、煇石なくても光子術ならぼく撃てますし」あのおっさんの頭上に白雷落として――「おいおい、光子見えてるって」兄さんが苦笑しながらぼくの右手を掴む。
「ほら教官も子供みたいな事言ってないで。折角美味しく出来たんですから、カレー」
 兄さんがチェス盤が置かれているテーブルに近付く。「もう見るも無残じゃないですか、リザインして下さいよ」さほど考える事もせずに兄さんがぼく側の黒のビショップを4dに置いて宣言する。「チェックメイトです、教官」
「あ。じゃなくて、何をするアスベル!今はお前と勝負してないぞ!」
「どっちにせよ負けてます、いい年なのにいつまでも子供みたいな事言ってると俺が光子術ぶっ放ちますよ!ほら、さっさと立って!」
「はい!」
 マリクさんは真顔で手早く立ち上がると、そそくさと部屋を出ていった。ぼくのイライラと共に、目の前にあった氷の槍も消える。いい年してこんな下らない事で教え子の兄さんに怒鳴られるなんて、ざまあないですね!ああ、本当にスッキリしました。
「全く、カレーが待ってるっていうのに」
 兄さんが随分低い声で呟いたのを聞いて思った、カレーの事がなかったら怒鳴らなかったかも知れない。カレーが絡んでいる時は兄さんを苛立たせない様に気を付けないと。

 イライラする程に空腹だったからという事も大きいとしても、兄さんのカレーは確かに美味しい。皆は味はいいけど相変わらず甘いと口を揃えて言っているけど、ぼくの分はちゃんと辛いですし。甘口好きの兄さんの事だから、本当にこれで辛くしたつもりですかと言いたくなる結果になっているんじゃないかと思っていたのに。
 スプーンで一口大に切ったバナナをカレーに入れようとして「パスカル、余計な事しちゃダメだ」と兄さんに止められ、しょんぼりしているパスカルさんの横に座っているソフィがぼくをジッと見つめているので「どうかしました?」と尋ねてみる。
「アスベルが作ったカレー、美味しい?」
「まさか鶏肉も牛肉も入っているとは思いませんでしたが……不味くはないですよ」
「それってヒューバートとしては美味しいって事なんだよね?わたし、分かるよ」
 ソフィのふわりとした笑顔は七年前と全く一緒だからか、気の持ち方が七年前にすぐさま逆行しそうになる。顔が緩みかけたのが自分で分かったから、少し俯き、メガネのブリッジを指で持ち上げて誤魔化した。
「なあ、ヒューバート、そう言えば辛さはどうだ?あと味も」横の兄さんが――早く何処かに行ってくれ、小さい頃のぼく。
「まあまあなんじゃないですか、両方共」顔に緩みの名残があったら嫌なので、睨みつける勢いで兄さんの目を見ながら言う。何でそんな怖い顔するんだと言われるかと思いきや、兄さんは微笑みながら、「そうか、ならいいんだ」
「ええ、全っ然期待してなかったんですけどね」と吐きながら目を逸らすのが精一杯だった。優しく微笑みかけないで欲しいというのは嘘です、嘘ですけど、どういう顔をすればいいのか分からなくなってしまう。
 まさかソフィとぼくのやり取りが兄さんの耳に入っていたという事はないだろうな。兄さんはさっきまでパスカルさんに、よく潰したバナナを煮込む前に入れるのはアリかも知れないけど俺は断固として入れない派だとかどうとか言ってて、パスカルさんから、えー!そんな派閥今すぐ抜けてー!とか言われて、いや抜けないとか言い返してて……とにかく下らないやり取りを熱心にしていたんだから耳に入っていたはずはない、入っててたまるか。 

 前を歩いているソフィの揺れる髪を気付かれない様に触っている内にテンションが上がったのか、パスカルさんが「ひゃっほ~!」と声を上げながらくるくる回る。シェリアから「廊下で騒がないの、他のお客さんに迷惑でしょ」と叱られ、いじけたのか何なのか、長いマフラーを手に取っていじり出す。
 本当に何なんだこの人は、と思いながら通り過ぎようとすると、「弟くんのお兄ちゃんは真面目だねえ~」……話し掛けられてしまった、仕方なく目を合わせる。
「自分が作らない時も片付け絶対手伝うし、自分が作るとなると一人で片付けるって。さっすがリーダー」
 演技だったのかと思う程、いじけた様子は全くない。気が許せないと思いながら、言葉を返す。
「そう言えば兄さんがリーダーって決まった経緯はどういう流れだったんですか?」
「経緯も何も、決めた訳じゃないんじゃなーい?でもアスベルがリーダーでしょ、だからそーいう事。ちなみにあたしは別に誰でもいいんだけどね。何ならあたしでもいいよ!」
「まあ間違いなく代表ではありますからね。ちなみに皆を引っ掻き回す貴方にリーダーは務まりませんよ、まだ兄さんのがマシです」
「そうだねえ」パスカルさんがぼくの前を歩いているマリクさんの横にピエロの様な軽い足取りで向かう。「アスベルは食器ピッカピカに洗うし。リーダーだからこそだよねー、きょーかん!」
「ああ、そうだな」
 マリクさんの背中に「納得するところじゃないでしょう」と突っ込むと、ソフィが「あっ」と声を上げて全身で振り返った。ソフィが立ち止まったので、ぼく達も立ち止まる。
「どうしたの?」シェリアが尋ねた。
「食堂に行く途中に宿のおばさんからもらった焼き菓子入りの袋、テーブルの上に忘れて来ちゃった」
「なら私が取りに行って来るわ。ついでに手伝って来る、また断られても無理矢理にでもね」
「じゃあわたしもお手伝い……」と言うソフィの顔を、シェリアが屈んで窺い見る。「無理しなくてもいいわ、少し眠たいんでしょう?」ソフィは小さく頷いた。
「焼き菓子は手伝う前に持って来るから大丈夫よ」
「ううん。またここまで戻って来てもらうの悪いから、お手伝いが終わってからでいい」
「そう、分かったわ。じゃあパスカル――」立ち上がりながらシェリアは念を押す様に強い口調で続ける。「部屋に戻ったらソフィをお風呂に入れてあげて、というか一緒に入って。あと歯磨きも忘れないでね。貴方がソフィの手間を掛けさせる様な事は止めてよ」
「えー?あたしは一昨日ガッツリ入ったしー、それにやりたい事があるんだよー」
「何かとソフィに触りたがるくせに、こういう時には何でそういう風なのよ……」目を閉じてわなわなしているシェリアの心中は察するに余りある。
「シェリア。ぼくが取りに行って来ます、兄さんと今後の事で話したい事がありますから。ですからソフィをお風呂に入れてあげて下さい、誰かさんは入れてくれる気が全くしませんしね」
「ひょ!」パスカルさんが奇声を上げた、余計な事を言われる予感がする。「もしかしてー……お兄ちゃんのお手伝いに行くの?」
「ですから、今後の事について話をしに行くだけです。それにもし手伝うと言っても手伝わせようとしませんよ兄さんは、手伝わなくてもいいと言ったからには」
「変なところで頑固なのよね」シェリアが苦笑しながら言う。「じゃあお願いするわ、話が終わったら部屋まで届けに来てくれる?ソフィもそういう事でいいわよね」
 ソフィが微笑を浮かべて頷いたので、分かりましたと言おうとしたら、「オレも同じ部屋だからな、今こそ兄弟水入らず!という訳か」今度はマリクさんが余計な事を言った。もう本当に面倒臭い。
「今こそ兄弟水いらず?」ソフィがぼくを見て首を傾げる。「アスベルとヒューバート、今はお水いらないの?」
「いや、そういう意味ではなく……」教えてあげたいけど他の誰かに聞いて下さい、ぼくはその意味を公然と説明するキャラじゃないんです。恨みを込めてマリクさんを睨みつける。「というか別に兄弟水入らずとかそういうつもりじゃないんですが」
「面倒臭い奴だな、いいからとっとと行って来たらどうだ」
「貴方には言われたくありませんし、そもそも貴方が余計な事言ってなかったらとっくに行ってましたよ!」
 これ以上余計な事を言われたらたまらない。誰の顔も見ない様にして、すぐさま踵を返す。背中に痛い程の目線を感じるから、角を曲がるまで早足で歩き続けた。

 調理場に入ろうとしたが、あの時の様に間際で足が止まってしまった。また壁にもたれて時間を無駄に潰す気かと自分を窘めて、今度こそ自ら調理場に入る。
 こっちに背中を向けて、兄さんが洗いものをしている。洗いもの真っ只中という音が響く中、気配を消して歩み寄ろうとすると、右手が何かと軽くぶつかった。見てみると小さなテーブルがあり、兄さんの白のコートが簡単に畳まれて置かれている。そんな必要ないのにと思いながらも、コートにそっと触れておいた。
「兄さん」声を掛けると、兄さんの背中がビクッと跳ねた。そんなにビクッとされるとは思わなかったので、こっちもビックリしたじゃないですか。顔だけで振り返った兄さんの表情は強張っていたが、ぼくだと分かり安心したらしく、強張りはすぐに抜けていった。
「ビックリしたぞ、もう」兄さんは手を拭いてから、今度は体ごと振り返る。「どうしたんだ、俺に何か用事か?――あ、もしかしてこれだろ」
 兄さんがシンクの横に置かれていた袋を取る、ソフィが宿のおばさんからもらったと話していた焼き菓子入りの袋だ。
「ソフィの事だから自分で取りに行くって言いそうだけどな、シェリア辺りから代わりに取りに行って来てって頼まれて断り切れなかったのか?」
「え……ええ、まあ」
「ハハ、当たったのか」少し笑った後、申し訳なさそうに続ける。「気付いた時に渡しに行こうかと思ったんだけど、後でいいかって思っちゃってさ。ソフィに渡すついでに悪かったって俺が言ってたと伝えておいてくれないか」
 袋を手渡された。「任せたよ」と言いながら、兄さんは再び背を向ける。
 ぼくはまた果たせずに部屋に戻るんだろうか。もう一人のぼくがぼくの中で注視している。簡単な事なのにどうして言えないの、ぼくは言いたいよ。そう言いながら見ている。もう一人のぼくとはいってもこの幼いぼくもぼくだ、ぼく以外の何者でもない。だけど――
 貴方と違って、ぼくは言えるのにな――『兄さん、ぼくも手伝うよ。二人でやれば早く終わるもんね』
 ――君は確かにぼくだが、ぼくは君とは違うから、そんな簡単に言えないんだよ。君がぼくの事をおかしいと思っているのがよく分かる、ぼくもそう思っているから。ぼくが思っているからこそ君もなのか、よく分からなくなって来た。
 皿と皿がぶつかる音がぼくを我に返した。「おっと」兄さんは一旦手を止めたが、再び洗い始める。
 くそっ、壁にはもたれていないし調理場には自ら入れたものの、これじゃあ兄さんが料理している時に調理場の方をただ見ているだけしか出来なかった自分と結局何一つ変わらない。
 手伝ってくれないか、兄さんがそう言ってくれたらいいのに。そうしたら自分から言い出さなくても兄さんを手伝えるし、やれやれ仕方ないですねそんな暇ないんですが、って嫌みも言える――とか考えるからぼくはダメなんだ。
 些細な事から少しずつ、兄さんの弟としての自分を取り戻したいのに。兄さんばかりに頼るのはダメだ、言わないと、自分から。
「に、兄さん!」
「うわっ!」兄さんが勢いよく振り返った。「まだいたのか、ヒューバート」
「なっ、何ですか、その言い方。いちゃいけないんですか」
「いけないって事はないけど、いてどうするんだよ。大体ソフィにそれ届けにいかなきゃいけないだろ?」
 兄さんの言葉から逃げ道を探そうとする自分を諌める。届けにいかなくてはいけないのは確かだけど、シェリアは用が終わってからでいいと言ってくれたし、ソフィも同意してくれていた。それとも、あの時の様に辛口にしてくれとか思ってもいなかった事を言って、また逃げ出す気か?
「おいおい、何でそんなに怖い顔してるんだよ」
 問いに答えないまま、受け取った袋を横の台の上に置いた後、脱いだコートを畳みもせずに袋の横に置く。
「ソフィには少し時間をもらってます、なので手伝います。いいですね」
「は?」
「このぼくが手伝うと言っているのに、まさか断るなんて事しませんよね」袖をまくりながら言うと、兄さんは「このぼくって何だよ」と苦笑した。
 からかったのではなく、兄さんにとってぼくはこのぼくも何も、一人の弟でしかないんだろう。と思ったけど、これはただの願望だな。ぼくは兄さんに期待し過ぎだ。
「じゃあ頼むよ。エプロンもしろよ」
 あっさり言われて驚いた、どうせ断られるだろうから無理矢理にでも、と思っていたのに。ソフィとシェリアが手伝うと言ったら断っていたのに何故だろうと不思議に思ったけど、ソフィとシェリアはいつもやっているからとかどうせそういう理由だろう、多分。

 たかが洗いものと思っていたのに、兄さんの手際の良さを見て、自分はロクに洗いものをした事がない身なんだなと痛感する羽目になってしまった。家庭的になっている兄さんか、正直ちょっと複雑だ。
「よし!終わった。有難うな、ヒューバート」布巾を絞りながら兄さんが言う。
「い、いえ。別に」
 エプロンを外し、脱いだコートを着ていると、レードルが蓋の隙間から出ている小さな鍋が調理台の上にある事に気付いた。
「洗ってないのがまだあるじゃないですか」
「余った分を移したんだ、一人分あるかないかってぐらいだけどな。何なら食べるか?お前だけおかわりしてなかっただろ、教官から腹減り過ぎてイライラしてたって聞いたのに」
「食事中に言ったじゃないですか、あの人とのチェスのせいだって。リザインすればいいのにいつまでも手を考えて……全く」
「うん、言ってたな」ぼくは食べるとも何とも言ってないのに、兄さんが鍋を温め始めた。「それもあったんだろうけど、腹減ってたからってのも本当だったんだろうな、と思いながら聞いてた。部屋に呼びに行った時、こいつ腹減ってるなってすぐ分かったしさ」
「……兄さんが時間掛け過ぎなんですよ」
「時間掛けずに作れないんだ、どうしても」レードルでカレーを軽く混ぜながら兄さんが笑う。「とにかく遠慮せずに食べていけよ。あ、レッドペッパー入れるよな、しっかり余ってるからな」
 調理台に置かれているレッドペッパーを兄さんが取ろうとした、「入れなくてもいいです」と制止する。
「入れないと甘いぞ?」
「か、構いません。皆が甘い甘いと言いながら食べてるのを見て、一体どれぐらい甘いのかと興味が湧いてましたし」
 兄さんはしばらく何も言わなかった。あれどうしましたと思った途端、「ハハッ、そっか」と兄さんが見せた無邪気な笑顔にぼくは小さい頃の兄さんを見た。嬉しくて泣きそうになった、ぼくではなくて、例のぼくが。

「パンもライスもないのは仕方ないとしても、立ち食いか……」ぼくにカレーとスプーンを手渡した後、調理場を見渡しながら兄さんが続ける。「ここって椅子一つもないんだな、今気付いた」
「別にいいですよ」
 カレーの匂いが漂っている。本当は甘口で良かった、むしろこれが食べたかった、兄さんが美味しいと思って作る本来の味のカレーを。思えば今日は自分の素直のなさが見事に裏目に出ていた、気を利かせてくれたソフィには特に悪い事をしてしまった。余計な事しちゃったね、と言っていた時のソフィの悲しみに満ちた表情が忘れられない。あの後、笑ってくれて本当に良かった。
「では、頂きます」
 口の中で甘さが広がる、本当に甘い。どれぐらい甘いかって、兄さんのソフィへの甘さぐらい甘い。とはいえ、全くもってスパイシーではないものの、スパイスの風味は不思議な程にしっかりしているし、味にコクも深みもある。つまり美味しい、但し甘い。美味しいと思うと、甘いという感想がどうしても一緒に付いて来る。味はいいけど甘いと皆が口を揃える理由が物凄く分かった。
「シェリアのカレーもなかなか甘いですけど、兄さんのは本っ当に甘いですね……味はその、まあまあなんですが」
「甘さは俺のこだわりだからな、味は悪くないと思ってくれてるなら良かったよ。お前に料理作るの生まれて初めてだったからさ、ちょっと緊張してたんだ」
「初めてじゃないですよ」
「えっ。そ、そうだったか?」兄さんが髪をいじる。「……思い出せないな」
「子供の頃に一度だけ。父さんと母さんが家を空けた時、妙に張り切ってメイド達を締め出してまでオムライス作ってたじゃないですか。チキンライスはベチャベチャで卵はグチャグチャ、到底オムライスとは呼べないシロモノでしたけど」
「ああ!そんな事もあったな。思い出したよ」
「ぼくはメイド達と陰からこっそり見ててハラハラしてたもんです。見ていられません、お手伝いします!と言う皆を何度止めたか……一人で作ると宣言したからには兄さんは手を貸されたら怒る事は目に見えてましたし」
「べ、別に怒らなかったって」
「いいえ、絶対に怒りました」と言うと、兄さんはばつが悪そうに頭を掻いた。兄さんも小さい頃ならではの幼さを今になって指摘されるのは苦手なんだな、兄さんのくせに。口元に笑みが浮かぶのを抑えられなくなって、誤魔化すためにカレーを口に運ぶ。
「見た目は悪くても意外と味は良かったりするだろ、その時のオムライスもそういう感じだったとか」
「残念ながら味も悪かったです、何なら悪かった点を一つ一つ挙げていきましょうか」
 止めてくれと言うかの様にぼくに手の平を向けつつ、苦笑を浮かべた兄さんが言う。「お前なあ、一つ一つって何でそんなに細かく覚えてるんだよ」
 兄さんにオムライス作ってもらえて凄く嬉しかったからこそです、なんて本当の事を言えると思いますか、ぼくが。
「それだけ味が悪かったって事ですよ」
「うーん……」顎に手を当てながら兄さんが小さく唸る。「でもお前、結構パクパクと食ってなかったっけ。とはいえウロ覚えだからな、あれは俺が作ったオムライスじゃなかったかも」
「そ、そうですよ。美味しくもないオムライスをパクパク食べる訳ないでしょう」内心焦りながら言うと、「だよなあ」と兄さんは苦笑した。
 また作ってね、と頼んだ記憶も未だ鮮明に残っている。兄さんは、親父と母さんが家空けたらまた作ってやるからな!と胸を張っていたけど、ぼくがストラタへ渡るまでに二人が同時に家を空ける事は一度もなかった。
「その時俺が作ったオムライスがどれだけ不味かったのか分からないけど、今なら流石にその時よりはマシに作れるだろうから、近い内に作らせてくれよ」
「まあ……兄さんが作りたいならどうぞ」残り少なくなって来たカレーをすくいながら言う。
「約束もしたもんな、また作ってやるって。随分と遅くなっちゃったな」思わず顔を見ると、兄さんは柔らかに微笑んでいる。「思い出したんだ」
 しまった、嬉しい。
 兄さんとこうして一緒に過ごしている内に、ぼくの中でモノクロになり全く動かなくなっていた小さい頃のぼくが動き始めてしまうなんて。ぼくとしては本当に勘弁して欲しいんですけど、どうやら止められそうにないので、何というか、あれだ。どうしようもない。

――――――――――――――

 調理場の出入口沿いの壁際に立って、ソフィと一緒に聞き耳を立ててアスベル達の様子を窺っていると、後ろから肩口に二ヤけた教官の顔が現れて大声を上げそうになったけど、どうにか堪えた。心臓がバックバク!睨みつけて目が合っても教官は未だにニヤけ顔……絶対ワザとだわ。
「ソフィ」表情を元に戻した教官が小さく声を掛ける、ソフィが振り返った。「水入らずってのはああいう事だ。今のあいつらを例えるなら油、油と水は混ざらんだろう。したがって今のあいつらには水が、つまり他者が交じる事は出来ないという訳だな」
「そういう意味なんだ、シェリア知ってた?」ソフィが感嘆の表情で尋ねて来た。「え、ええ。もちろん知ってたわよ」水が入る隙間もないって事だと思ってたけど……。
「ねーねー」私とソフィの間で座り込んでいたパスカルが立ち上がりながら小さく言った、「あの二人すっかり油断してるみたいだからあたし達に気付いてる気配が面白いぐらいにないけど、流石にそろそろ戻った方がいいと思うよ」
「だな、戻るぞ」ようやく肩口から教官の顔が消えた、目で追うと教官とパスカルは足音一つ立てず足早に戻っていく。私がソフィの肩に手を置くと、ソフィは頷いて教官達に続いた。
 私もソフィの後に続く。後ろ髪が引かれる思いが物凄くあるけど、まだ聞こうとするなんて野暮――ううん、既に充分野暮よね。ゴメンね二人とも。でも私嬉しいの、今物凄く嬉しいの。だからお願い、許して。

「戻った方がいいってパスカルが真っ先に言うなんて思わなかったわ」
 両手を頭の後ろに回しながら大きく足を投げ出す様にして私の前を歩いているパスカルに声を掛ける。
「だって気付かれたら面倒じゃーん、弟くんがさ。アスベルは――」体ごとこっちに振り返ってから、「何だよ皆、黙ってないで声掛けてくれたらいいのに、って爽やかに言うんだろうけどねー」
「で、ヒューバートは、何言ってるんですか兄さん、盗み聞きされてたんですよ!って怒る訳だ」教官が言うと、パスカルは笑いながら「そうそう!」と同意した。確かに絶対言うわね。
 私の横を歩いているソフィの顔をパスカルが窺い見る。「お。何だか嬉しそうだねえ、ソフィ。眠気も飛んじゃった?」
「うん、嬉しいよ」ソフィは微笑んだ後に、私の方を見て続けた。「シェリア。わたし、食堂出る前にアスベルに聞いたの。沢山食べたけど、まだカレーあるの?って。そしたらね、もうないんだ、ゴメンなって。でもアスベルはヒューバートのためにこっそり残してたって事だよね」
 笑みを浮かべて頷く。「うん、だよね」ソフィが嬉しそうに笑った。
「本当はあるのにないって言った事に対してのゴメンな、だったんでしょうね。アスベルらしいわ」
「全くだな」教官は少し笑った後に一拍ぐらい置いて、顎に手を当ててから続ける。「ヒューバートなりに隠していたみたいだが……辛口にしてもらっておきながら、俺達のカレーを気にしている気配をしきりに見せていたしな、しかも食い始める前から既に、な。今さっきの様子からしても、本当は甘口のカレーを食いたかったんだろう。アスベルは前々から察していて、夜食にでも食わせようとしてたのかも知れん。だとしたら手伝いに来たから手間が省けたな」
 私達の甘口のカレーをヒューバートが気にしてる気配なんて私には全然感じなかった、隠していたという事まで見抜いてたなんて。本当かしらと一瞬疑ったけど、ヒューバートの事だから、その通りなのかも。
 教官って普段から皆に気を配ってるのかしら、そう思わされる事は今までも度々あった。とは言っても教官はそんな様子を全く見せない。今夜だってカレーを食べる前はチェスについてソフィに一方的に熱弁を振るうも、うん全然分かんない。という一言で片付けられてパスカルに爆笑されてたり、食べてる最中もアスベルとパスカルの間で起きた、カレーにバナナ入れる入れない論争を心底面白そうに煽ってたぐらいだし。
 そんな風なのに常に皆に気を配っているのなら只者じゃないとは思うけど、どうなのかしら。そんなに尊敬出来る人?って聞いた時にアスベルは、気持ちは分かるけどいつかシェリアにも分かるよ、って言っていたけど――
「シェリアが何やら考え中でーす!」いつの間にかパスカルが真横にいた、ビックリしたじゃない!「バナナはどうしてあんなに美味しいのか!……確かに考えれば考える程に謎だよねえ~」
「そんな事微塵たりとも考えてないわよ」
「じゃあこれを考えてみよっかー、あのアスベルが教官並みに気が付くのかなー、って。そこのところどう思う?幼馴染としてさ」
「確かに辛口にしてって言われたら、辛口がいいんだなってそのまま素直に受け取っちゃいそうなのがアスベルよね、アスベルにしては鋭過ぎるとは思うわ」と言いながら思う、パスカルも只者じゃないかも知れない。もう充分只者じゃないんだけど。
「あっ!」ソフィが声を挙げた、何だか高揚しているみたい。「シェリア、おじさんに連れて行かれたヒューバートが戻って来た後に三人で少しお話してから階段上がったでしょ?でもシェリアが上って来る気配がしなかったから振り返った時ね、調理場の出入り口にアスベル立ってたの」
「ええっ!それ、ほっ、本当なの?」
「お話してる時は立ってなかったし、立ってた時はシェリアとヒューバートは前見てたから気付かなかったんだよ。わたし、アスベルに声掛けようとしたんだけど、アスベルが口元に人差し指当てたから、声掛けちゃダメなんだな、って。どうしてなのか不思議だったから後で聞いてみようと思ってたのに、忘れちゃってた」
 あの時ソフィは私に小さな頃の私が重なって見えたから目を丸くした訳じゃなくて(そうよね、そんな事ある訳ないわよね、うん)私の向こうにいつの間にかアスベルがいたから驚いてたんだわ。
「ほう。ところでお前達がその時に何を話してたのか聞かせてくれないか、話したくないなら構わないが」
「いいですよ、別に隠す様な事でもないですから」
 ヒューバートがアスベルに辛口にしてもらうかどうか悩んでいたと言っていた事。ヒューバートも甘口のカレーが好きだったとアスベルが言ってたと昨日の夜にソフィから聞いたヒューバートが寂しそうな顔をしたから、ソフィが良かれと思ってアスベルにカレーを作って欲しいと頼んでいた事。そしてその事を聞いた後にヒューバートが見せた微妙な態度。私は端折りつつも出来るだけ詳細に話していった。
 教官が鼻で軽く笑ってから言う。「その話を陰で聞いてたな、アスベルは。絶対と言っていい」
「でもあの調理場って結構奥深いところに調理台一式があるから、階段にいた私達の話は出入り口の方まで来ないとちゃんと聞こえなかったと思うんです。そもそも私達がいた事をアスベルは知らなかったはずだし、どうして一通りの話をしっかり聞けたんでしょうか」
「大方、ヒューバートからどの程度の辛さがいいのか聞きそびれたから尋ねようと廊下に出ようとしたら、偶然お前達の話を聞く事になったとかそんなところじゃないか。姿を見せた理由は分からんが、お前達の姿が見たくなったとかそーんなところだろう、どうせ」
「凄いね、教官!」とソフィに言われ、教官が「ああ、知っている」と得意気にしている。その言い方鼻に付くけど確かに凄いわ教官!と思ったけど、他にこれという理由が思い浮かばないという事に気付いてしまった。だってアスベルの事なんだし、難しく考えようとしたのがいけなかったわ。不覚。
「ねえ教官。アスベル、わたし達の話をどうして隠れて聞いてたのかな。わたしと目が合った時も口に指当ててシーッてやったり……何でだろう」
「それは教えられんな」どうして、と言うかの様に首を傾げてみせたソフィの肩に手を置いて教官が続ける。「自分で考えた方がいい。何、損はしないだろう」
 ソフィが窺う様に私を見る。私も教官と同意見だから、頷いておいた。
「にしってもさー」前を歩いているパスカルが思いっ切り腕を伸ばして背伸びをしながら、「弟くんって年の割に無駄にしっかり者だなーとか思ってたけど、お兄ちゃんの前ではまだ子供の部分があるんだねえ」
 まだというか戻って来たんじゃないかしらと思ったけど、的を得ている事は確か。可笑しくなって来ちゃって、笑いがクスクスこぼれてしまった。
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